あると思います。
昔の映画、たとえば黒澤明の映画は、いま見てもなお「面白い」と思います。
それはなぜでしょうか?
カメラや編集機器の技術といったものはとても発達しているので、そういう面では
現代の映画の方に利があったとしても、それを補って余りある「アイデア」や
「シナリオ」の面白さ、「演出」の冴えといったものが黒澤明の映画にはあるのだと思います。
そして、「良い編集」というものも、そこに含まれると思います。
たとえ時代が進んでいったとしても色褪せない「編集の良さ」というものがあるのだと思います。
「編集」に関しては、時代が求める「テンポ」というものはあるように思いますが
(つまりどんどん速くなっていくという)、それを除けば、編集の良し悪しは、
やはり誰が編集するかによって変わってくると思います。
たとえば同じ映像素材で、同じ音楽で、複数の人が別々に編集を行えば、どうなるでしょうか?
当然、異なるものが出てくると思います。
そしてそこには、良し悪しが見えてくると思います。
たとえ、ただただ音楽にあわせて映像をつないでいくにしましても、
そこには編集する人の「理屈」が存在していると思うからです。
なにか難しいことを言って誤魔化しているような感じですが、今少しお付き合いください。
編集の「理屈」というのは、これは私共もやってみてわかってきたのですが、
やはりまず全体を把握していないとできないし、一貫した筋を通さないともいけない、
かつ起承転結といいましょうか、映像には「始め」と「終わり」があるからには、
そうした「ストーリー感」というものも必要となると思います。
さらに編集というのは恐ろしいもので、どこをどう切ってつなげるかで、
おなじ素材を扱っていても、真反対のことを表現しているようなことにもなったりします。
調べますと、やはりいろいろに映像理論なるものがあり、そうした学校や教科書的なものまで
あるようですから、編集というのは、奥の深いものです。
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